野球を歩く

  • 第12回 芝浦球場2港区海岸3丁目の埠頭公園内に「『芝浦球場』跡地」の看板がある。同じ敷地内には10(明治43)年に南極探検に向け出発した白瀬矗隊長以下27名の名を刻んだ記念碑もある。野球場と埠頭、海っぺりのそれほど広くない場所に異質のものが同居していたとは考えにくいが、それが通説として流布していた。続きを読む
  • 第11回 わが国初のプロ野球チーム、日本運動協会の本拠地日本運動協会の本拠地球場が芝浦球場である。完成したのは1921(大正10)年春で、場所は芝浦の埋め立て地。2万人収容可能の芝浦球場には準早慶戦を見たさのファンが押し寄せ、満員になったという。続きを読む
  • 第10回 石丸進一を慰霊する鎮魂碑石丸進一がどんな選手だったのか、プロ野球ファンでも知らない人が多いと思う。実働期間はわずか3年。しかし、その3年間は石丸の実力を知らしめるには十分な時間だった。続きを読む
  • 第9回 戦争の影を今もとどめる野球のメッカ、後楽園1試合3安打以上記録した選手に賞品を贈呈する「猛打賞」の発案者としても知られる清岡卓行、『プリズンの満月』に描かれた戦犯の野球観戦、東京の球場不足解消のために建てられた後楽園球場とは。続きを読む
  • 第8回 早大野球日本野球の恩人を挙げろと言われれば、私は躊躇なく「早稲田大学野球部」の名前を最初に出す。 日本野球界に大きな影響を与えた早大野球部の軌跡を振り返る。続きを読む
  • 第7回 短命に終わった国鉄スワローズの本拠地球場かつて東京駅の中央線ホームから武蔵野競技場前行という電車が出たことがある「武蔵野競技場」。国鉄スワローズ(現ヤクルトの前身)などプロ野球の試合も行なわれ、通称「競技場線」と呼ばれていた。続きを読む
  • 第6回 満潮になるとカニが這いずり回った球場海岸沿いの埋め立て地に作られたゆえに地質が軟弱だった短命球場。史上屈指の好ゲーム・巨人とタイガースの洲崎決戦、さらに野球と異なる部分でも歴史に名をとどめている伝説の球場とは。続きを読む
  • 第5回 一高黄金時代 その2伝説になりつつある一高の精神野球。その一高譲りの猛練習によって、その精神性を確実に早大野球部に引き継ごうとした“学生野球の父”と呼ばれる早大初代監督の飛田穂洲。続きを読む
  • 第4回 一高黄金時代 その1新橋アスレチックス倶楽部から一高の時代へ。インブリー事件による試合中止、守山投手が国際試合初のシャットアウト勝ちなど遠い歴史の彼方にある一高野球部の黄金時代とは。続きを読む
  • 第3回 子規が打って走った明治のベースボール その2正岡子規が遊びのような感覚で興じていた上野公園グラウンドでは、女子プロ野球チームや芸人たちがプロ野球の「大毎オリオンズ」(現在のロッテ)相手に試合をしたことが・・・続きを読む
  • 第2回 子規が打って走った明治のベースボール その1正岡子規が颯爽とみせたバッチング。そのベースボールが日本に普及した伝播力の速さには驚くべきものがあった。しかも当時の野球という競技は打者を中心に発想されていたという。続きを読む
  • 第1回 羽田球場跡大正5年、東京を襲った洪水によって設備の多くが流出し、ついに再建されなかった羽田球場。寿命7年しかなかったその球場は、いったいどこにあったのだろうか。続きを読む